SYMPOSIUM
Design the future
デザイン・ザ・フューチャー
日時
東京国際フォーラム ガラス棟会議室 G502
主催
AMIT実行委員会
共催
アーツカウンシル東京(公益財団法人 東京都歴史文化財団)
コラボレーティブ・パートナー
アートフェア東京実行委員会
第1部
テクノロジーとコミュニケーションが
変える都市の風景13:00 - 15:00
AMIT2015参加アーティスト、新しいアートの動向を扱う若手のギャラリスト、丸の内エリアのブランディングを担う方々をパネリストとして招き、都市とアートの関わりについて、丸の内の未来について語ります。
パネリスト(50音順)
芦川朋子(waitingroomオーナー・ディレクター)
加藤浩志(三菱地所(株) 街ブランド推進部 副長)
力石咲(AMIT2015 出品アーティスト)
真鍋大度 | Rhizomatiks(AMIT2015 出品アーティスト)*映像出演
和田永(AMIT2015 出品アーティスト)
モデレーター
四方幸子(メディアアート・キュレーター/AMIT2015ディレクター)
第1部では、AMIT2015出品アーティストである力石さんと和田さん、真鍋さん(映像出演)、会場を提供してくださった三菱地所(株) 街ブランド推進部 副長加藤さん、そして昨年のAMIT2014で協力していただいたギャラリストの芦川さんの4名をパネリストとしてお迎えし、都市とアートの関わりについて、また丸の内のブランディングと未来の街づくりについて語りました。
AMITの紹介とシンポジウムの趣旨、パネリスト紹介
司会を務めるAMIT2015プロデューサー山本敦子よりシンポジウムの趣旨について説明させていただきました。
山本
1部はAMIT2015出品作家の方々と三菱地所の方、それから昨年のAMIT2014に関わって頂いたギャラリストの方にご登壇頂いている。
モデレーターであり、AMIT2015のプログラム・ディレクターでもある四方幸子さんからパネリストの紹介とAMITについて説明がありました。
四方
まずパネリストのご紹介を。
向かって左から、出展者の和田永さん。彼は音楽家でアーティスト。古い電化製品、例えばオープンリール・テープレコーダーやブラウン管のテレビといった、最近は見かけない、生産も中止されているような古い電化製品とコンピュータを組み合わせて音楽、美術作品の製作、パフォーマンスをされている。
そして、可愛いニットの宇宙服を着ているのが力石咲さん。彼女も出展アーティストの一人。編物を編むだけではなく、コミュニケーションメディアとして作品を作っている。
次は加藤浩志さん。三菱地所株式会社・街ブランド推進部副長。今回、多大なご理解とご協力を頂いた。街のことやAMITについてお伺いしたい。
そして芦川朋子さん。昨年のAMIT2014では3つのギャラリーに出展していただいたが、waitingroomというご自身のギャラリーで毛利悠子さんというアーティストの作品を展示して頂いた。
AMITは、“Art, Media and I, Tokyo”の略。アーティスト数は多くない、ささやかなアートフェスティバルだが、各アーティストが存在感のある素晴らしい作品を実現している。規模は小さいが、丸の内エリア全体に広がっている。人々がそれぞれ能動的に関わることによって、フェスティバルが増殖し、展開していくことを願って、「I」を含むタイトルにした。
プレゼンテーション
次にパネリストがそれぞれプレゼンテーションを行いました。最初は和田永さんが、作品とライブの映像を紹介しながら、ご自身の活動のテーマについてお話しいただきました。
和田
僕がメインで活動しているのが、Open Reel Ensembleというグループで、古いオープンリール式のレコーダーを使ったバンドのようなパフォーマンスをやっている。これは掃除機の音。最終的にはこういうスペーシーなサウンドが奏でられる。一方で、ブラウン管のテレビを楽器にして演奏するという活動もやっている。ちょうどアナログ放送が終了した日に、パフォーマンスをして、アナログ放送の終了とともに、ライブを始めるということもやった。このように、ブラウン管テレビをひとつの打楽器のような形で演奏している。
今回のAMITで、OAZOで展開しているのは、《フライング・レコーズ》という作品。その前の《時折織成─落下する記録》はテープが堕ちてくる作品だったので、次はテープが空を飛んだらいいなというところから発想した。テープの端にバルーンが取り付けられていて、それぞれのテープには、僕の「ふー」という声が6つの高さで録音されている。テープが再生されると、音とともに風船が上がっていき、テープが巻き戻されると風船が急降下していくという作品。
テーマは“Electronicos(エレクトロニコス)”。役割を終えた電化製品、エレクトロニクスを、エレクトロニコスに変えていくということ。機械が持っている仕組みの面白さと物語が結びついて、それまでの「もの」から脱皮して、今までとは違う形になるというのを、エレクトロニコスと言っている。いつか、エレクトロニコスのお祭りみたいなものを作りたいという妄想がある。
真鍋さんは海外出張中とのことで、作品についてのコメントを映像でいただきました。また、オープニングの際に行われたライブ映像も紹介しました。
四方
ライゾマティクスは、Red Bull Music Academyとのコラボとして《Human Sized Synthesizer》を出展。昨年の11月に渋谷のパルコパート1の前で2日間展示されたが、1日は雨が降ってしまったため、残念ながら体験できた方は少なかった。これがその時の映像。
<真鍋(映像メッセージ)>「(この作品が)きっかけになるといいなと思った。(自分は)シンセを使って最初に音楽を作ったのが小学校5年のとき。車のエンジン音を作って、それでシンセを覚えた。」
四方
今回は新たに改良を加え再製作したものを展示。これは初日の3月19日に、3名のゲストアーティストを招いて、30分くらいの即興セッションをやった時の映像。
操作する人が恊働できるプラットフォームであり、また見る側とも場の共有をすることができる。
続いて力石咲さんが今回のプロジェクトについてプレゼンテーションを行いました。
力石
私は編物をコミュニケーションメディアとして扱っている。街や空間や人をそれで編みくるむことによって、プロジェクトやインスタレーション作品を作っている。
端に毛糸で巻いたコーンがあり、上には編み機がある。自動的に細い糸を編んでいる。3本垂れているのが編み上がった糸になる。太く加工された糸を、今度は私が手編みにして、丸の内の屋内外のいろんなものを編みくるんでいくというプロジェクト。何度も丸の内でリサーチをして、地域の特徴に合わせて、どういうモチーフで編むかを考え、今回は、ピンクのゾーンと緑のゾーン、二つのエリアに分けて編みくるんでいる。これが東京国際フォーラムのAMITのカウンター。道路を挟んで向かいのTOKIAのカフェ「P.C.M.」。そのまま三菱一号館美術館の方に進むと、看板がくるまれている。緑のゾーンには所々顔を付けている。美術館の入り口にいるスタッフの方のネームプレート。編みくるんだものをプレゼントして使ってもらっている。
これは丸の内仲通り。ここの街路樹をすべて、ピンクの糸でくるんでいる。19日の夜にワークショップという形で、丸ビルの前の街路樹を参加者の皆さんとインベージョンした。
四方
夜このようなことをしていると、通常は不審者に思われるが、今回は許可を得て、堂々と行った。参加者の皆さんも楽しんでいた。
次に、今回のもう一つの作品Sharing "Me", with Picseeについて、四方さんから紹介がありました。
四方
マルキューブで展開している《Sharing “Me” with Picsee》は、最近リリースされた、iPhoneアプリ「Picsee」を使ったプロジェクト。Picseeはドミニク・チェンさんが開発したアプリ。彼はメディア研究者であるとともに、アプリケーションの開発会社(Dividual Inc.)を持ち、理論と実践両面で活動している。「Picsee」はグループ内で写真を共有できるアプリ。誰かが撮ると即座に他の人も見ることができる。今回の《Sharing “Me” with Picsee》では、福原志保さん、カーステン・シュウェージヒ、マーティン・ホルトカンプの3人のアーティストが参加、各自に割り振られたプリンターから撮った写真が瞬時に出てくるシステムが作られた。瞬時に見ているものを共有することで、記憶や想像力の連鎖が起こってくることと、本来プライベートなアプリだがAMITの4日間だけダダ漏れ的に観客に見てもらえる体験を実験的に提供した。
アーティストのプレゼンテーションに続いて、今回会場の提供をはじめ、さまざまな形でご支援、ご協力をいただいた三菱地所株式会社のご担当者である加藤さんから、街ブランド推進部の活動についてお話しいただきました。
加藤
私は街ブランド推進部という、人が集ってくるためのものはなんだろうか、とか、あるいは人が働く、憩うときに必要なものを入れていこうという、そういったことをやっている部署にいる。
丸の内エリアは、昔は大名屋敷だったが、その後陸軍の練習場になり、そこを昔の三菱社が買い取って、美術館の場所にビルを建て始めたのが始まり。少しずつ、高い建物が出来た。基本はオフィス街だったが、建て変わってきて、床面積が増えた。街ブランド推進部は皆さんが使える床が増えたときに、では何を入れるかというのを考える部署。最初はレストランやオフィス、お店をたくさん入れてきたが、それだけではなくて、街に来たときに、何かやっていて楽しそうだな、丸の内っていいね、と思って頂けるようなものとして、2002年以降12年間イベントをたくさんやっている。これはクラシックのコンサート。基本は無料。恐竜展も人気。仲通りという道路を封鎖して、陸上選手や自転車選手に走ってもらった。YouTubeで丸の内チャンネルと調べて頂けると結構動画を作っているので、もしご興味あれば見て頂きたい。
最後に昨年のAMIT2014に出展していただいたギャラリーwaitingroomの芦川さんにご自身の活動を紹介していただきました。
芦川
ギャラリーの仕事は、アーティストの作品を売るということと、作家、アーティストをどう世の中に紹介していくか、どう展開していくかということだが、いわゆるマーケット上で売るという意味では挑戦的な、難しい作家を紹介しているので、そういった作品を一体どう売るのか、また、そういった作品は記録が難しかったり、保存が難しかったり、再現するのが難しかったり、そういういろんな課題があるメディアを使っているので、そういった部分をアーティストと一緒に考えて、どのような展開ができるか、どういった可能性があるかということを一緒に考えながら発表していくというのが、私のやっている仕事。
今映っているのが、去年のブースの様子。毛利悠子という作家は、もう使わなくなってしまった古道具、例えばここでは左側に扇風機があり、右側の台の上や下には、金属の部分がくっついており、オブジェのようになっているが、右側のものは全部ゴミ。都市のゴミを集めてそれをオブジェ化したものを、電気や本人が考えた特殊な回路、つまりコンピュータで動かしているのではなく、本人が作り出した回路で動かしているという、いわゆるメディアアートというよりは、どちらかというとアナログとメディアがどのようにコラボレーションできるかというような作品を作っている。そういった意味で、和田さんと通じる部分があるかなと思う。
これは「モレモレ東京」というタイトルの写真作品で、地下鉄の駅構内にある水漏れ現場を撮影したもの。作家本人が作ったものではなく、駅員さんが作ったものを写真によって収集しているという作品。
こちらは今年のアートフェア東京で紹介している飯山由貴という1988年生まれでまだ27歳の若手作家。メディアを横断している。左上の作品は力石さんと共通する編みものの作品や、オブジェの作品、映像。今回、合わせてネオン管の作品も作った。作家本人が追っているテーマに合わせてメディアを選んで作っている作家。映像を買うという方たちもまだまだ少なく、インスタレーション作品をどうやって買うの、というような、マーケットとしては課題が残っているようなことをアーティストとお客さんと一緒に考えていきながら、今後の可能性を探っているのがwaitingroomというギャラリー。
ディスカッション
四方
都市とコミュニケーション、アートの問題を考えたい。毛利さんやみなさんは、都市に対して、既存の機能を外から眺め、少しずらすということをしている。それによって都市の空間や解釈に一種の遊びが生まれ、これまでにない風景が見えてくる。
力石
今回に限らず、街の中に作品を介入させるということは、街を管理している方とコミュニケーションを取ることが大事。
四方
丸の内は、文化的要素も含め、丁寧に開発されているエリアだと感じる。加藤さん、最初に力石さんのプロジェクト案を聞いたときはどのような印象でしたか?
加藤
木や建物にくるんでいきたいということだったので、正直イメージがわかなかった。他の都市の写真を見せて頂くと、こういうことかと。次によぎったのは、管理上の細かいこと。例えば、ニットが飛んで、酔った人が滑って転んだらどうしようかとか。警備の部署と話すと、ニットは大丈夫じゃないの、燃えなきゃいいよね、とそれだけだった。
四方
和田さん、今回OAZO吹き抜けという商業空間での初めての展示となったが、どうでしたか?
和田
僕の作品は音を扱うので、異次元的なサウンドが警報音に聞こえるという意外なことも言われて問題になったこともあったが、僕は、もっと異質なものが溢れて欲しい。都市はノイズを排除していくという方向に向かうものだと思うが、ズレのようなものが起きていくことによって面白くなっていくと思う。アーティスト目線かもしれないが。
芦川
テクノロジーの進歩によって、再現することが不可能になる状態をどう考えていくか。アーティストとして、ギャラリストとして、それが今大きな課題になっていると思う。和田さんも作品にブラウン管やオープンリールテープを使っているが、もしそれがなくなったらどうするか?
和田
おそらくやってない。違う作品を作って潔くやめていると思う。はかなさも作品の一部。ある個体を作るというよりも、音楽をやっていることもあり、体験を作りたい。ライブ音楽も生まれては死んでいく。どういう風に死んでいくものと対話するか。
四方
メディアアートは、本質的にはそういうもの。音楽とかパフォーマンスに近くて、ものというよりは、現象であり、人々と対話するもの。
芦川
アートフェアを通して、この数年、メディアアートをお金で買う人たちが増えている。毛利悠子のインスタレーション作品は昨年完売している。ただそれを買ってどうするのか、壊れた場合はどうするのか。まだまだ問題は山積み。しかしだからこそ面白い。ディスカッションすることで、一緒に可能性を模索し、一緒に提案していくという状況にきていると思う。
まとめ
四方
AMITは作家も現場にいますので、人との一瞬の出会いによって関係性も変わっていくし、祝祭性があります。ぜひ現場にいらしてください。それぞれの場所で別々の仕事をしているみなさんに集まっていただき対話を始めることによって文化シーンも活性化していくと思います。ありがとうございました。
山本
このシンポジウムは、アーツカウンシル東京の共催、ご協力で開催されている。アーツカウンシル東京は、東京都の文化支援セクションで、2020年のオリンピックに向けて、文化プログラムの中心的な存在になっていく団体。私がAMITの企画、プロジェクトを始めたときに視野に入れていたのは、2020年のオリンピックが東京で開催されるということ。そのときに世界から注目が集まる東京で、どんなことを文化として世界に発信できるかと考えたときに、メディアアートというのが、日本の文化の中でかなりアドバンテージが高いのではないかということで、メディアアートにフォーカスして、このプロジェクトの企画を始めた。今日はありがとうございました。
VIDEO
第2部
Design the future
東京のメディア&アートの現在15:30-17:30
パネリスト(50音順)
阿部芳久(公益財団法人 CG-ARTS協会 イノベーション事業部長)
サンソン・シルヴァン(アンスティチュ・フランセ東京 文化プログラム主任)
四方幸子(メディアアート・キュレーター/AMIT2015ディレクター)
谷川じゅんじ(スペースコンポーザー/JTQ代表)
モデレーター
江渡浩一郎(独立行政法人産業技術総合研究所主任研究員/ニコニコ学会β実行委員長/メディア・アーティスト)
第2部では、2月から3月にかけて東京で開催されるさまざまなメディアアート関連イベントの関係者が初めて一堂に会しました。モデレーターに江渡浩一郎さんをお迎えし、文化庁メディア芸術祭に立ち上げから関わった阿部さん、「デジタル・ショック」を主催するアンスティチュ・フランセ東京のシルヴァンさん、「MEDIA AMBITION TOKYO」からは谷川さん、そしてAMIT2015ディレクター四方さんの4名のパネリストが、東京のメディアアート・シーンについて、そして、2020年東京オリンピックを見据え、東京の文化情報発信としてのメディアアートの未来について話し合いました。
シンポジウム第2部の趣旨
モデレーターを務める江渡浩一郎さんよりシンポジウム第2部の趣旨の説明とご自身のご紹介をしていただきました。
江渡
本日お集り頂いた方々は、メディアアート・フェスティバルのオーガナイザーであるという共通点があり、オーガナイズに関わる問題点が本セッションのトピック。
まず、私から自己紹介と本セッションの議題出しをしたいと思う。もともと私は、メディア・アーティストとして活動していた。その後、2002年に産業技術総合研究所に移り、研究者となり今に至る。
ニコニコ学会βは、ニコニコ生放送を使って学会をやる試み。単純にプロの研究者が参加するのではなく、「野生の研究者」と呼ばれる、プロではないが自分の好きなことを研究し、何らかの成果を出している人に来てもらい、研究成果について話してもらい、それをプロの研究者と互いに同じような土俵で発表し、発想を切磋琢磨し合うという場。
私はもともとメディア・アーティストとして活動している。(オーストリア・リンツの電子芸術コンペ)プリ・アルス・エレクトロニカで1997年にsensoriumチームとしてグランプリを受賞し、ゆかりが深いこともあって、さまざまなメディアアートのフェスティバルを横につなげてみることを、このセッションで企画しようということになった。
トピックとしては、東京とメディアアートという横串でメディアアート・シーンを見ていこうと考えている。
プレゼンテーション
パネリストがそれぞれが関わるメディアアート・フェスティバルについてプレゼンテーションを行いました。最初は阿部さんに文化庁メディア芸術祭についてお話ししていただきました。
阿部
CG-ARTS協会は1991年に設立され、新しいテクノロジーを使った文化領域の人材育成と文化振興を行なっている。一つ目は、学生CGコンテスト。CGも含むが、さまざまなテクノロジーを使った、イノベーティブな作品を網羅している。二つ目は、文化庁メディア芸術祭。主催ではないが、立ち上げの準備段階から関わり、第14回までは、オーガナイザーとして関わった。三つ目は、コンテストやフェスティバル以外に、多くの民間の方々と関わり、さまざまなことをやっている。
80年代後半から90年代初めにかけて、世の中では大きな二つのインパクトがあった。ひとつはデジタル化の進展、もうひとつはオタク文化の隆盛である。デジタル化の進展では、具体的に見ると、インターネットの商用サービスが93年に始まったり、ウィンドウズ95が95年に発売されたり、マルチメディアブームが90年代初めにあった。もうひとつは、オタク文化の隆盛ということで、マンガ、アニメ、ゲームといったいわゆるサブカル、オタクといわれたものが非常に注目されだした。
文化庁では、96年に文化政策推進会議「マルチメディア映像音響芸術懇談会」を立ち上げ、新しい文化領域への施策を検討するということになった。CG-ARTS協会の滝川理事長が座長となり、意見をまとめていき、一つの施策としてまとまったのが、文化庁メディア芸術祭。ちなみに、メディア芸術祭は今、国立新美術館でやっているが、国立の美術館に辿り着くまで、11年間かかった。今、このような感じでやっており、ここにいらっしゃるJTQの谷川さんが入って、すごくかっこ良くして下さって、今もその流れが続いている。最初、写真美術館に移ったときに、通常の美術館の展覧会手法でやったが、煩雑でヘンテコなフェスティバルになってしまい、うまくいかなかった。そこで、谷川さんにやって頂いたのは、強烈な一つの空間のカラーを作ってもらい、その中に入れるということ。
また、海外展開も積極的にやった。やりたかったのは、日本の「文化庁メディア芸術祭 Japan Media Arts Festival」という名前のまま、海外の美術館で展覧会をするということで実績を作った。
90年代半ばに、メディア芸術祭をスタートした時に、対象領域としては、アートの周縁であったり、エンタテインメントの周縁分野だったのではないか。変化は周辺から起こり、今まさに中心となりつつある。今気になっているのは、今の周縁とは何なのか。そしてその周縁をちゃんと応援していかないといけないということが、これからの課題。
続いてシルヴァンさんにデジタル・ショックについてご紹介いただきました。
シルヴァン
アンスティテュ・フランセ東京は、旧日仏学院で在日フランス大使館属のフランス政府機関で語学学校でありながら、文化センターでもある。展覧会、舞台芸術のイベント、ライブ等さまざまなイベントを開催している。そして、フランスと日本に、メディアアートに関するプロジェクト普及を目的にデジタル・ショックを創立した。
2012年2月に第1回デジタル・ショックを開催。このメディアフェスティバルの目的は、フランスのクリエイティビティと先端的なテクノロジーを利用する作品、アーティストを紹介することだが、それだけではなく、メディアアートの定義を問うことが第二の目的となっている。
フランスのフェスティバルと日本のフェスティバルとのコラボレーションや、日本人とフランス人のアーティストがコラボレーションできるプロジェクトを普及させたい。
第1回デジタル・ショックの際、グレゴリー・シャトンスキーの作品、アイデンティティである指紋が破壊されていく作品を紹介した。
2013年の第2回デジタル・ショックのときには、初めて文化庁メディア芸術祭とコラボレーションし、デジタル領域のスペースに関する作品を紹介した。日本に滞在しているアーティスト、ブノワ・ブロワザは、さまざまなメタボリズムのプロジェクトを本物の東京湾に形だけ置き、3Dフレームを付けて映画を撮った。
先端的なテクノロジーを利用する作品も紹介するが、毎回、アナログとデジタルを組む作品を紹介するのが重要だと思っている。フランスのマンガ、バンド・デシネを描くスカイテンという作家がオーグメンテッド・リアリティ(AR)のプロジェクトによるシステムを企画して、デジタル・ショックで紹介できたが、ちょうどその年に、スカイテンさんは文化庁のメディア芸術祭でも受賞した。
昨年第3回デジタル・ショックを開催。人間と機械の観念についてプログラムを作成した。版画を利用するアーティストが、壁に版画を貼って、もう一人、プロジェクションマッピングをするアーティストが、絵と物を動かせるようにした。
今年は去年のテーマを引き継ぎ、メディアアートがどのようにリアリティを新しく実現し、表現するのかに触れたかったので、さまざまなプロジェクトを実行した。3Dプリンターを利用する日仏交流を、フランス人のキュレーターと日本人のキュレーターとで考えた。イノマタアキさんのやどかりのプロジェクトを紹介した。BCLというバイオアートのグループの設立者で、フランスで留学経験もある福原志保さんは、屋台トラックで屋外のラボラトリーを設定し、よりバイオアートがわかるようなワークショップを開催した。
今年から、メディアアートの分野で、日本とフランスのコラボレーションを含めたいので、メディアアートの賞を創設した。受賞者はマルセイユに2ヶ月ほど滞在でき、今秋のビエンナーレの際に作品を展示できる。アーティストの方々に周知頂けると幸い。
次に谷川さんにこれまでのお仕事とMEDIA ANBITION TOKYOについてご紹介いただきました。
谷川
実際にやった仕事を見て頂きたい。これは2008年にパリのルーブルでやった経済産業省の感性 kansei Japan Design Exhibition展の様子。また、こちらは平城遷都1300年祭のときに、世界遺産である奈良の薬師寺の国宝のお堂でプラネタリウムを作った。(本日のパネリストの)阿部さんとご一緒した、文化庁のメディア芸術祭は、2005年から2008年までお手伝いさせて頂いた。これがその時の様子。下の段が、東京都写真美術館。上の段は4回目、国立新美術館に移ったときの様子。こういった空間構成の仕事を10年以上やってきて、これからの10年はできる範囲のなかで、自分たちから発信をする、新しいスタイルの仕組みが作れないかということで始めたのが、このMEDIA AMBITION TOKYO。
グローバルイベントカレンダーと名前を付けて、世界中のイベントが何月にどこで行なわれているのかを大まかにカレンダーにプロットしているが、その都市に世界から人がわっと集まるようなイベントがいくつもある。こういったものを日本でもひとつ作れないかと強く考えたときに、2月というのがグローバルでみて、大きなイベントがない時期。で、2月に何があったかと考えると、文化庁メディア芸術祭があるじゃないかと。アーティスティックで非常に美しい物事の織り込みをなす日本文脈と、技術大国、科学大国としての日本、アート&テクノロジーの日本というものを何か、この時期に世界に対して発信できないか、というところで、MEDIA AMBITION TOKYOという、いわゆる、東京自体が発信力のあるプラットフォームになって、2月の東京はすごいことになっているぞということで、世界中から人が集まる状況をまずは作るためにこのイベントをスタートさせた。
今回のこのプログラム、イベントはあえて民間の力でやってみるのがいいのではないかと思い、自分たちで資金調達も含めてやるというところからスタートすることを決めた。最初、2013年に六本木ヒルズの展望台を3日間借り、仲間に声をかけて、展示とライブのイベントをやった。1回目のときは、チームラボの猪子くん、ライゾマティクスは真鍋くんや齋藤さんに手伝ってもらってライブのイベントをやったり、作品を飾ったりした。お酒を飲みながら、テクノロジーアートに触れるという、従前のスタイルにはない、社交場をもったイベントをコンセプトに、テクノロジーアートを社交しよう、と。みんなをギャザリングして、お話をして、楽しんで、そんな中から、一緒になんかやりたいよねというムーブメントが起こってきたときに、新しいものが作られるのではないのかということで、こういう場を最初に設けた。
これが2014年の雰囲気。1年目よりはサイズが少し大きくなったのと、昼間も開催していたので、イベントのムードが大分変わってきた。
これは今年の様子。六本木ヒルズのチケット売場。改装で展望台が閉まっているが、ここは空いているということで、ここをラボにした。SANDWICHとWOWのコラボレーションで、実際に作品作りをしていた。東京ミッドタウンではスケートリンクを作った。これはライゾマティクスのチームで作った作品。これは天野さんが作ったアクシスの会場にあった作品。これは青山、レクサスの車をモチーフにしたもの。あるいはこれはチームラボさんが今科学未来館でやっている展覧会の中に新たに作品をインストールした。これは飯田橋、アンスティテュ・フランセ東京で実際に展示を行ったイメージ。
イメージはミラノサローネが一番近いが、六本木で国が行なうメディア芸術祭というある種この領域ではエスタブリッシュなイベントがあり、その周辺でいろいろ思いを持った方たちが、ご自分たちの努力でイベントを形にしていっているものをどんどんつないでいって、外から見たときに、行くべき価値になっている、自分たちにできることを形にしよう、ということで、今日はMEDIA AMBITION TOKYOのお話をさせて頂いた。
最後に四方さんにAMIT2015についてご紹介いただきました。
四方
AMITに至るまでを少しお話してからAMITについて紹介しようと思う。私が最初に行ったメディアアート・フェスは、オーストリアのリンツにある電子芸術フェス、アルス・エレクトロニカ。1991年、ちょうどVRが出てきた頃で、西海岸的のヒッピー文化と最先端の科学技術の成果と、ヨーロッパの批評的文化が混じっていくような、エキサイティングな展示や会議があった。街の公共空間、例えば中央の大きな広場(ハフプトプラッツ)やドナウ川のほとりで、クランクボルケ(音の雲)という、大規模なイベントが1979年の初回から毎年行われてもいる。このフェスは街の人たちを緊密に結びつけていて、日本でもそういうものができないかとずっと思っていた。文化庁メディア芸術祭は1997年に始まったが、谷川さんも言っていることだが、夜のライブなど、人に出会えるイベントがない。アルス・エレクトロニカなど世界各地のメディアアート・フェスでは、夜は夜でイベントやライブがあるので、より親しく交流することができる。そのような祝祭的な場所を作りたいと思い、実際に自分でメディアアート・フェスを初めて開催したのは2010年の6月。IST2010(インテルフェレンツェ・シーズ・トーキョー)という2日間のフェス(会場:原宿VACANT)を、3ヶ月で実現した。
昨年は、札幌国際芸術祭2014(SIAF2014)にキュレーターとして関わり、数々のメディアアートと参加型プロジェクトを担当した。AMITは、今年2回目。名前の通り、アートとメディアと各人(私)が東京で出会うというようなイメージを持っていて、それぞれの人々が参加して、何らかの形で関わってもらうことで、一緒にアートとメディアについて考えて街を作っていければと願っている。
こちらは、和田永さんのOAZOの展示。数階分吹き抜けになっていて、天井高が約50メートルある。オープンリール式テープレコーダーが6台床に設置され、各レコーダーからテープがのびていて、それぞれにバルーンがついており、再生されると高く上がって、巻き戻すときに、ひゅーっと音がして、一気に下がってくる、空間的な音の作品になっている。
こちらが、マルキューブに展示した《The Human Sized Synthesizer》で、これはRed Bull Music Academyとライゾマティクスのコラボレーション。力石さんの作品がその手前にあって、ミニマルでソリッドなシンセサイザーと、ニッティングマシーンが自動的にニットを編む作品がコントラストをなしている。そしてこちらにBCLの一人、福原志保さん含め3人のアーティストに参加していただきPicseeという新しいiPhoneアプリを使った作品。こちらは3月19日の初日のレッドブル・ミュージック・アカデミーとライゾマティクスの《The Human Sized Synthesizer》を使ったライブ。
AMIT全体で、多くの方々に参加いただき楽しんでいただいた。来年もこのような形で続けられることを願っている。
ディスカッション
東京からメディアアートを文化発信していくことについて議論し、今後それぞれのフェスティバルが連携をしていくことを確認しました。
四方
アンスティテュ・フランセ東京がデジタル・ショックを自力で立ち上げ継続していることはすごい。予算は潤沢にはないだろうが、やる気はとてもある。また、コンセプトが毎回哲学的な問いも含み、しっかりしている。フランスから、アーティストや理論家を招き日本との対話を開いていることも重要。
MEDIA AMBITION TOKYOも、これまでにない注目に値する動き。今回は、これまでメイン会場としていた六本木ヒルズ森タワーの展望台が改修中で使えないという厳しい状況だったが、それを逆手にとって会場を分散させた。デジタル・ショックともコラボしている。谷川さんが、あるものを活用する、というお話をされていたが、お金がある人はお金を、スキルがある人はスキルを、場所を持つ人は場所を出す、という方法で継続していく意思と実現力はすごい。今年は比較的小規模なものが各地に分散しているが、来年はまた別の展開があると思う。設立者の4人(阿部芳久、齋藤精一、杉山央、谷川じゅんじ)が協働していることも、意味がある。
今日は、文化庁メディア芸術祭の立ち上げに関わった阿部さん、ここ3年ほぼ同時期に開催されはじめたデジタル・ショック、MEDIA AMBITION TOKYOなど東京を代表するメディアアート・フェスの主催者の方々が初めて一同に会する場となった。今後一緒に東京のメディアアート・シーンを盛り上げていければ、そのことを今日は宣言したいと思って集まっていただいた。
谷川
MEDIA AMBITION TOKYOである必要は全然ないと思っていて、なんとなく、2月の東京というのでまず一回ドメインされる。グローバルで考えると、世界中のカレンダーに予定を入れてもらわないと、なかなかすぐにヨーロッパなどから来てもらえない。2月は東京行かなきゃいけないから、その時期は東京で会おうよ、みたいなことが、グローバルで見たときのインフルエンスのなかでも定着するような働きかけというのは目指したいなと。
江渡
こんな面白い状況になっていたとは、実は把握していなかった。2月の東京が非常に活発になっているということをいまさら把握して、キャッチアップしたいと思っている。
阿部
メディア芸術祭は卒業させて頂き、違うことをやるようにしている。新しい才能や新しい作家さんたちに、何をしなければいけないかというと、やはり社会にちゃんと繋げてあげる、社会でちゃんと活躍できるようにしてあげることが必要で、その仕組みはまだまだないので、彼らをちゃんと活用しなければいけないなと。社会にどうやって繋げていくかということ。
シルヴァン
フランスの機関なので、フランスと日本の両方に特有の才能や精神、概念の面白さがあるので、ぜひこれからもコラボレーション、交流ができれば、面白い作品がでるのではないかと思う。今後ともよろしくお願い致します。
谷川
場作りをする人間としてすごく思うことは、人と人とが直接出会うことの価値はすごく大きいし、ますます大きくなると思っている。ここで話した内容というのは、今の時代だと、例えば活字にしてネットで読むなど、あんな話をしていたなと左脳的に感じることはいくらでもできるようになったと思うが、現場で一緒に向き合って、同じ空気を体感するときに、右脳で感じているエネルギーみたいなもの、ムードみたいなものは、実は本当に何かを決断するときの最後ちょっと背中を押すエネルギーであり、それはすごくアクチュアルなもののような気がしている。そういう意味で、直接人と会うことで、信じられるか信じられないかが自分の中で肚落ちするかしないかがすごく大切で、そういう意味で人と人が直接会う場所をこの先も作りたいと思うし、そこにある意味執着して、取り組んでいきたいと思っている。
四方
私は、タイミングがとても重要だと思っていて、たとえばキュレーションするにも、時期とかフレーム、場所、人、アーティスト、コンセプト、予算がパズルのようにガチっと合ったときに、これはいける、という確信を持てるといいものができる。東京のメディアアートの状況は、今まさにそうだと思う。2~3月にこれだけのメディアアート・フェスがあり、コラボなどにより多重化して繋がろうとしている。この状況をしっかりとおさえていって、外にもアピールしながら一緒に育っていければと。今思いついたことだが、ユネスコのメディアアーツ創造都市をめざすなど、何か共通の目的を設定しながら活性化していけないか。
山本
こういう形でムーブメントが起こったので、ぜひ連携をして、東京でメディアアートを文化発信していきたいということで、今回皆さまにお集まり頂いた。点がつながり、もっと大きな面になっていけたらいいなと思っているので、これからも皆さんよろしくお願い致します。今日は長時間どうもありがとうございました。
VIDEO